&風に吹かれてカシシエロ

ドラマのあれこれ。毎日のあれこれ。

テレビ画面が盛られすぎて、何を見てるのかわからない件

あの手この手でテレビの画面が盛られすぎ、何を見ているのかわからない今日この頃である。メインの画面に集中させてもらえず、視聴者は散漫にならざるを得ないかんじで、なんだか残念だ。

 

画面のゴチャゴチャにも限度がある

そもそも、各局で繰り広げられる画面盛り盛り合戦は、何を目的に繰り広げられているのだろう。

情報番組では画面下でツイッターが紹介され続け、夕方のドラマの再放送では、青だの赤だのをクリックせよと求められ、視聴率獲得クリック作戦展開中のようだ。あの手この手もここまで来ると、節操がない印象だ。

 

画面上の見出しもビジネスメールみたいに 【怒】とか【喜】とかやたらめったらつけているし、見出し文字が七色になったりキラキラ光ったり、流れ星のような曲線が消えたり現れたり、とにかく画面がやかましい。ゴチャゴチャで、デザイン性などあったものではない(ホームページもゴチャゴチャ)。

視聴率主義ではなく画面装飾主義になっているぞ。

 

しかし、なぜここまでという疑問がある。

内容に自信がない?

パソコンスキルを見せつけたい?

 

 

盛られているのは、文字だけではない

昨今のニュース番組、特に夕方はすでにニュース番組として成立していない。グルメだ、芸能だと何でもありの状態である。

事件を追うニュースや政局報道では、リズム隊中心の音楽が視聴者を煽る。ドラマ音とベース音がドドンド ドンドンと低音でリズムを刻み、なんだかドラマチックになっているのだ。音響さんの腕のみせどころなのかどうかはわからないが、事件に集中させてちょうだい、冷静に見せてちょうだいと、切に思ってしまう。未だ犯人捕まらずの場合もこのパターンである。そこ、演出しなくていいからと思うのだが、どうだろう。

「犯人の足取りを追う」ナレーションはちょっとおどろおどろしい声だし、「2週間ほど前から不審者の目撃情報はあった」のナレーションの後ろでは、やっぱり低音でリズムが刻まれるし。

きゃあ。もう静かにしてえ!

 

 

情報過多の時代、驚くことはまだある

朝の情報番組で、ネット上の傾向だの他局の報道だの新聞の報道だのから、いろいろ論じ合い「本当でしょうかね」とか「○○と信じたいところですが」などとコメントするが、そもそも、足を使ってなぜ取材しない?????

 

不思議を追加させていただくと、コメンテーターという肩書きもなんなんだ。今日に至るまで、コメンテーターとは何なの?ちょっと考えようと視聴者にずっと言われているはずだが、”誰でもコメンテーターの時代”は変化を見せない。

 なぜにコメントする立場なのか。専門領域なら然りであるが。

 

確かにインターネットは論じ合う風土を育成したと言える。しかしテレビはその手法に乗っかっているだけ、テレビ性が崩壊しただの盛り屋になっていて、信頼度は低下するばかりである。

 

”テレビ的=エンタメ的=盛り” を現場で今一度検証していただき、本来のテレビらしさを取り戻してほしい。取りあえず、画面が うざいぜのテレビになっていることに気づいていただきたいと思っている。

 

テレビ、何もかもダメじゃん とは思っていない。

ドラマガイドではありますが、『サラメシ』大好きです。